作物遺伝資源の収集・保存・活用
1.生物多様性、生物資源、遺伝資源 2010年は、国連の定めた生物多様性年であり、10月には名古屋市で生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が開催され、連日ニュースになり、広く関心を集めた。生物多様性条約では、地球上の生態系全体における「生物多様性」を保存の対象と位置付け、その構成要素である生物個体、集団、種、群落・群集などは「生物資源」として持続的利用の対象とされている。さらに、そのなかに含まれる遺伝的素材を「遺伝資源」と呼び、国家の主権的権利下にあると規定した。バイオテクノロジーを用いた研究開発、とくに医薬品の開発は、私たちの生命・健康に関わり、しかも、経済的影響が大きいために注目を集める。COP10で、遺伝資源の取得(アクセス)とその利用から得られる利益の公正で衡平な配分について、長い議論のあとでようやく名古屋議定書が採決されたことは記憶に新しい。 農業分野でも、作物や家畜において、品種をかけ合わせたり、望ましい形質を選抜したりして、新しい品種を生み出す努力は古くからなされてきた。メンデルの法則が1900年に再発見され、遺伝学という学問が形成されると、遺伝学に裏打ちされた品種改良が発展した。育種には元になる材料が必要で、その材料も遺伝資源である。もちろん、名古屋議定書は農業分野の遺伝資源にも適応される。 2.作物遺伝資源 「多様な品種・系統を集めて、利用する」──それが作物遺伝資源の基本的な考えである。では、どこに行けば多様性があるのだろう? 今から80年以上前、ロシア(当時はソビエト連邦)のN.I.ヴァヴィロフ博士は、世界各地を調査し、遺伝資源を収集した。そして、作物ごとに多様な品種がみられる多様性中心と呼ばれる地域があり、そこが野生近縁種から作物が栽培化された地域であり、起源地から遠ざかるほど多様性が減少していくという学説、「多様性中心説」を立てた。現在のような分子遺伝学やゲノム科学などの発展する以前の話で、形態形質などを丹念に調査した結果である。彼は、スターリン体制下で投獄されシベリアで他界したが、今日、その功績から「遺伝資源の父」と呼ばれている。 早くから遺伝資源の重要性に気付き、収集を始めたのは、ヴァヴィロフ博士だけではない。日本では、1903(明治36)~06年に、いち早く農商務省農事試験場が日本全国からイネの在来品種を約4000品種収集している。それを精査し、選んだ670品種を育種用素材とした。まだ、遺伝資源という用語はなかったのだが、これこそ近代日本の作物遺伝資源の端緒である。わが国の近代的イネ育種は、これらの在来品種を基盤とし、その後も国内外から積極的に遺伝資源を収集し、選抜や交雑育種、突然変異育種などを駆使して行われている。たとえば、美味しい品種の代名詞となった「コシヒカリ」は、「水稲農林22号」に「水稲農林1号」という品種の交配の後代から選抜された品種であるが、その系譜をたどると、「森多早生」、「愛国」、「亀の尾」、「銀坊主」、「朝日」、「上州」、「撰一(せんいち)」といった在来品種に至る。イネにしろ、コムギにしろ、ヴァヴィロフ博士の多様性中心からは遠く離れた日本には、極端に大きな多様性が見出されたわけではないが、それでも、さまざまな環境に適応した変異が存在していたのである。 3.遺伝資源の重要性 世界人口は68億人を突破し、今世紀中頃には90億人を超えると予測されている。現在も飢餓に苦しむ人々が9億人以上いるわけで、人口増加分も含めて食料を確保するためには、それに見合うだけ農業生産も増加させなければならない。しかし、耕地を増やすことはなかなか困難で、単位面積当たりの生産高、すなわち収量の増大が直面する重要課題である。主食であるコメの生産調整、減反を行い、一方で低自給率をどのように向上していくかを議論している日本にとっても他人事ではない。2か国間や複数国間の経済連携が重要になり、今後の農業を、そして食料をどうしていくかということを念頭に置きながら、量ばかりではなく質を確保し、同時に、地球規模での気候変動や環境変化、そして自然災害や病虫害などに対応した農業に向けて努力しなければいけない。そのためには、技術革新に基づく新しい品種の育成や栽培加工技術の開発の努力を欠かすことができない。栽培技術の革新も重要であるが、「緑の革命」など過去の例をみると作物の品種改良すなわち育種によって、収量が飛躍的に増大できる可能性がある。近年のゲノム科学をはじめとする生命科学の急速な進展を、育種に活用する努力が重要である。 ゲノム科学の進展で、いくつかの作物種の「設計図」が解読された。しかし、設計図だけから作物を作ることもできない。種内の多様性について、全てを知っているわけではない。技術が進歩しても研究素材は必要であり、科学技術の進展で、今までは利用できなかったような素材も利用できるようになった分、素材の重要性は増したともいえる。 人類は農耕を開始し、野生の植物を栽培植物すなわち作物に作り上げてきた。したがって、作物の歴史はたかだか1万年程度である。その間にさまざまな突然変異が生じ、自然選択や人為選択の結果、多様な品種が生み出された。農業の現場では新しく開発された少数の品種に集中し、昔から栽培され続けてきた多様な在来品種は私たちのまわりから急速に姿を消している。ところが、新しい品種の開発には多様な品種系統が必要である。 日本の品種が遺伝資源として、世界の食料増産に多大の貢献をした例をあげてみよう。戦前、育成されたコムギの品種に「小麦農林10号」がある。この品種は、「フルツ達磨(だるま)」と「ターキーレッド」という交配後代から岩手県農事試験場で稲塚権次郎によって育成され、1935年に農林省の登録品種とされたが、フルツ達磨は「白達磨」と「硝子状(がらすじょう)フルツ」の交配の後代から選抜されたものである。小麦農林10号は、在来品種である白達磨の持っていた草丈の低くなる遺伝子(半矮性(はんわいせい)遺伝子)を引き継いでいたが、病害を受けやすいこともあり、広範には普及しなかった。白達磨などの半矮性在来品種は、草丈が低く(短稈(たんかん))て耐肥性が高く、日本など極東の伝統的な水田裏作条件によく適応していた。 終戦直後、占領軍の農業顧問として来日したS. C. サーモン博士が小麦農林10号をアメリカに持ち帰り、増殖して各地の研究所に送付した。ワシントン州のO.A.フォーゲル博士は、小麦農林10号と品種「ブレヴォー」を交配するなどして育種を進めた。フォーゲル博士は、その後1961年に半矮性の品種「ゲインズ」を発表したが、この品種は当時としては驚異的な収量を記録している。 フォーゲル博士の育成系統はメキシコ人研究者と共同研究をしていた植物病理学者であり遺伝学者であったN.E.ボーローグ博士にも提供された。ボーローグ博士らが交配を重ね、育成した半矮性品種群は、1960年代に飢餓に苦しむインドやパキスタンなどの農業生産性を飛躍的に向上させ、世界中に半矮性のコムギの栽培が広がった──いわゆる「緑の革命」である。その功績によって、ボーローグ博士は1970年にノーベル平和賞を授与された。なお、ボーローグ博士らの研究グループは、国際コムギ・トウモロコシ改良センター(CYMMIT)という国際農業研究機関として再編・整備された。 4.農林水産省ジーンバンク事業と農業生物資源ジーンバンク事業 先に述べた明治30年代のイネ品種の収集に始まり、公的な育種研究機関にはさまざまな作物の在来品種や育種系統が維持・保存されてきた。 農林水産省は、1985年度に、わが国における最初の組織的な事業として、植物、動物、微生物、水産生物、林木(1987年度から)といった幅広い遺伝資源を対象に「農林水産省ジーンバンク事業」を開始した。これは、それまで個別に行われていた遺伝資源に関する活動を集約・拡充した事業の開始であった。作物に関しては、農業生物資源研究所をセンターバンク、日本各地の農林水産省傘下(さんか)の試験研究機関などがサブバンクとして、連携・協力する体制がとられ、農業生物資源研究所では、1986年に「遺伝資源センター」としての体制が整えられた。1985~92年度の第1期に引き続き1993~2000年度の第2期事業が実施され、遺伝資源の収集、特性評価と育種素材化、保存と情報整備、配布などの活動を確立した。1988年には3代目種子貯蔵施設が竣工し、配布用種子庫(-1℃)として稼働を始め(写真1)、古い2代目施設は、永年用種子庫(-10℃)として利用されることとなった。 写真1 ジーンバンク施設。左上:配布用種子庫、右上:配布用種子ボトル、右下:発芽調査
![]() 事業開始当時に11万4060点であった植物遺伝資源は、第1期終了時には19万2860点(うち配布可能なアクティブ・コレクションは7万9492点)と増加し、第2期終了時には、21万2057点(11万8623点)と総数も増加し、利用に供されるアクティブ・コレクションの比率も高められた。 2001年に、農業生物資源研究所、蚕糸・昆虫研究所、家畜衛生試験所の一部などが再編され、独立行政法人農業生物資源研究所となった。植物、動物、微生物の遺伝資源やDNA部門の活動は、名称を「農業生物資源ジーンバンク事業」と改めて受け継がれた。センターバンク・サブバンクによる事業の推進体制は基本的に踏襲され、(独)農業生物資源研究所がセンターバンク、(独)農業・食品産業技術総合研究機構を始めとする複数の研究機関がサブバンクとして、連携して一体的に運営されている。なお、林木遺伝資源や水産生物遺伝資源は、それぞれ(独)森林総合研究所と(独)水産総合研究センターが継続して担っている。 センターバンクの役割は、遺伝学や生理学などの専門知識を持った研究者による、遺伝資源とDNAの国内外からの収集、分類、同定、特性評価、増殖、保存、配布および情報の管理提供に係る事業を戦略的に実施することである。サブバンクは、センターバンクからの委託を受け、たとえば、いも類や果樹など栄養体での保存、地域の環境条件に則した特性評価、あるいは増殖を行うなど、センターバンクで充分に実施できない分野を分担している。わが国にはこの他、地方自治体が独自に運営しているジーンバンクや、特定の作物や植物について、大学や民間企業などが遺伝資源を管理している。 植物分野では、稲類、麦類、豆類、いも類、雑穀・特用作物、牧草・飼料作物、果樹類、野菜類、花き・緑化植物、茶、桑、熱帯・亜熱帯植物、およびその他の植物を対象に、遺伝資源を収集・保存し、特性評価のデータを付与し、必要に応じて再増殖を行って維持・保存し、インターネットなどで情報を広く公開して、育種をはじめ各種研究に供されるよう、請求に応じ基本的に有料で遺伝資源を配布している1)。 多くの大学など学術研究機関は、それぞれユニークな作物の遺伝資源のコレクションを持っている。コムギの野生近縁種は京都大学や横浜市立大学、イネ野生種は国立遺伝学研究所、オオムギは岡山大学に、それぞれ国際的にも評価の高い遺伝資源が集積されている。文部科学省では、ライフサイエンス研究の基礎・基盤となるバイオリソース(動物、植物など)について、収集・保存・提供を行うナショナル・バイオリソース・プロジェクト(NBRP)を実施しており、いわゆる作物としてはイネ、コムギ、オオムギ、キク類、ダイズ、トマト、アサガオなどの充実を図っている。 農業生物資源ジーンバンク事業が育種など作物改良に直接関わる利用を念頭に置いているのに対し、NBRPはより学術的な目的に焦点を当てた実験生物的な利用が主眼である。したがって、収集や管理の仕方も利用者の要求に合わせて異なっているが、一方で、たとえば、学術研究機関の遺伝資源の重複保存を農業生物資源ジーンバンク事業が行うなど、大切な遺伝資源をしっかりと維持管理するために連携協力も行っている。 5.農業生物資源ジーンバンク事業と作物遺伝資源の収集・保存・管理 作物遺伝資源は、多様性解析や特性評価といった研究によって情報が付与されて、利活用の幅が広がる。また、非常に似通った系統や栽培増殖の難しい近縁野生種など、つねに研究者の目を必要としている。センターバンクでは、中期計画に基づき、下記の5項目の活動を、センターバンク・サブバンクの連携協力や外部への委託課題を含め実施しており、2006~10年度までの5か年の活動の概略を紹介しよう。 (1)「遺伝資源の導入、フィールド調査と多様性解析」 36隊の国内探索調査を実施しており、収集対象は作物品種から近縁野生種へと変化しつつある。海外遺伝資源の共同調査は、セネガル・ギニア(アフリカイネ)、ブルガリア(牧草類)、パプアニューギニア(3か年、イネ、マメ)、中国(3か年、果樹)、エジプト(イネ)、ブータン(事前、雑穀・雑豆)、韓国(カンキツ)、ラオス(3か年、野菜)、インド(3か年、雑穀・雑豆)、ラオス(ソルガム)などを実施した2)。 (2)「遺伝資源の特性評価とアクティブ・コレクションの充実」 サブバンクの協力のもと、植物遺伝資源のさまざまな特性評価を実施した。また、公募を行い、新たな有用変異の評価および評価法の開発に関する課題を実施した。配布可能な遺伝資源(アクティブ・コレクション)は5か年で約1万点増加し、14万点を超えている。保存遺伝資源の品質向上のため発芽調査を実施し、サブバンクの協力を得て毎年度約5000~6000点の種子再増殖を実施した。導入遺伝資源で防疫法上の必要のあるものについては、隔離栽培を行っている。 (3)「遺伝資源の利用による新遺伝育種素材の開発」 世界イネ・コアコレクション、日本在来イネ・コアコレクション、日本在来トウモロコシ・コアコレクションの整備と配布開始に続き、サブバンクの協力を得て、5か年で計9課題(日本産カンキツ、Aゲノム野生イネ、ツルアズキ、ソルガム、リョクトウ、アワ、イワテヤマナシ、日本産コムギ、日本産ダイズ)を対象に、コアコレクションの選抜と増殖を進めた。 (4)「遺伝資源の長期に安定な保存・品質管理と増殖・保存技術の改善」 事業全体で保存している植物遺伝資源の総数は2010年11月末集計で24万6548点である。その全てが種子の形で保存されているわけではなく、栄養体での保存(4万4902点)や培養系での保存(1197点)などを含んでいる。栄養体の安全かつ効率的な保存のため、公募課題を含め、簡便かつ効率の良い超低温保存法の開発を行うとともに、超低温保存法によるクワ冬芽の二重保存事業(保存点数約1200点)を実施している。 (5)「遺伝資源の利用促進のための情報管理・提供システムの高度化と公開」 ジーンバンクでは、アクティブ・コレクションの来歴情報や特性情報をホームページから検索3)できるようにしているので、その配布を申請できる。配布申込に応じ、5か年(2010年11月末集計)で合計4万6914点の植物遺伝資源を育種その他の研究や教育のために配布した。 6.活用 前述のコシヒカリのように新しい品種を育成するためにはその材料として遺伝資源が利用されているので、例をあげればきりがないが、最近の興味深い例をひとつあげてみよう。 新潟県や富山県で開発された「コシヒカリBL(blast-resistant lines)」という新しい品種がある。もともとコシヒカリは多収性品種を目指して育種されたが、現在は美味しいコメの品種として人気が高い。しかし、いもち病に弱い。ひとつの田んぼあるいは地域のコシヒカリ植物体が、みな同じ遺伝的背景をもっていると、いもち病による被害が一気に広がる可能性が高い。カビの仲間であるいもち病の病原微生物には病原性の異なる多数の系統(レースという)があり、一方、多様なイネ遺伝資源にはさまざまないもち病抵抗性遺伝子が知られている。コシヒカリに抵抗性遺伝子をもつ品種を交配し、数回コシヒカリを連続戻し交雑することによって、遺伝的にはコシヒカリとほとんど同一で、異なる遺伝資源からいもち病抵抗性遺伝子を導入した系統を育成した。これらのいくつか(たとえば、BL1、BL2、BL4とBL10、あるいはBL1、BL2、BL3とBL10など)を混合したのがコシヒカリBLである(表1)。特定のいもち病病原微生物のレースが発生しても、一気にいもち病が広がる可能性は低く、農薬の散布を少なく押さえることが可能で、いまや新潟県産のコシヒカリはほとんどがコシヒカリ BLである。 表1 新潟県のコシヒカリBL育成に利用された遺伝資源
![]() 現在、作物のゲノム解析が急速に進んでいる。その技術革新によって、遺伝資源は不要になるのだろうか。いや、技術が進むことによって、自然界の多様性、そして、何千年もかけて人類が育んできた作物品種の多様性が解き明かされ始めており、遺伝資源の多様性を使いこなす研究開発はむしろこれからだと思われる。 7.おわりに ジーンバンクの活動は、農業生産性向上につながる新品種開発を陰で支える研究基盤であり、国家的な戦略として、遺伝資源の導入が進められてきた。先進国を中心に、作物遺伝資源は人類共通の財産として、自由に使うべきであるという考え方がある一方、1993年の生物多様性条約の発効以降は遺伝資源に対する原産国の主権的権利が強く主張されるようになり、原産国への利益配分が求められるようになった。農業分野では、「育種家の権利」と「農民の権利」という対立となった。 この先進国と発展途上国のいわゆる南北の対立は、COP10における名古屋議定書採択にいたる長い議論をもたらした。議定書では、この条約のルールが確認された。すなわち、生物遺伝資源にアクセスする場合、資源保有国の国内法などにしたがって事前の情報に基づく同意を得ること、およびアクセスや利益配分についても相互に合意する条件での合意が必要であることは変わっていない。ただし、議定書発効前に移動した遺伝資源については適用されない。議定書は、今後、50か国以上が批准すれば正式に発効するが、わが国を含め各国がどのような国内法を制定するのか、あるいはしないのか、議論が続くであろう。当分の間、遺伝資源へのアクセスはむしろ困難になるかもしれない。 一方、2001年に国連食糧農業機関(FAO)が採択し、2004年に発効した食料農業植物遺伝資源条約(ITPGR)には、わが国はまだ未加入であるが、多国間のアクセスの仕組みを提供しており、今後の作物遺伝資源を扱っていくためには重要である。名古屋議定書においても、ITPGRやFAO食料農業遺伝資源委員会について言及されている。今後はITPGRへの加入も含め、作物遺伝資源へのより円滑なアクセスへの努力が必要である。 |