農業農村と生物多様性
─農林水産省と連携した国連大学の取組み─

国連大学  サステイナビリティと平和研究所 
シニア・プログラム・アドバイザー 永田 明

1.はじめに

 意外と知られていないが、国連大学は、日本に本部が置かれている唯一の国連機関である(写真1)。大学といっても、1973年の設立以来、2010年の9月まで学生はいなかった。いわゆる研究機関、国連のシンクタンクとしての位置づけである。その9月から大学院プログラムが始まり、ようやく本来の大学らしくなりつつある。

 国連大学というだけあって、研究テーマはグローバルなものである。気候変動や生物多様性の問題も国連大学の重要な研究テーマであり、そのなかには当然、農業農村に関連の深いものも含まれている。

 国連大学の研究は、世界各地にある国連大学の研究所や各国の大学・研究機関とのネットワークで進められている。日本には、東京・渋谷の国連大学本部と同じ建物の中に「サステイナビリティと平和研究所(UNU−SP)」、横浜に「高等研究所(UNU−IAS)」がある。サステイナビリティと平和研究所は、サステイナビリティ(持続可能性)と平和の問題を一体的にとらえて研究活動を行うたいへんユニークな研究機関であり、高等研究所は、生物多様性との関連では後述する「SATOYAMAイニシアティブ」を先駆的に推進してきた研究機関である。

 国連大学の学長はスイス人のコンラッド・オスターヴァルダーだが、副学長は日本人の東京大学大学院農学生命科学研究科の武内和彦教授で、サステイナビリティと平和研究所の所長も務めている。また、武内副学長は農林水産省の食料・農業・農村政策審議会会長代理も務めており、農業農村の問題にたいへん関心が高い。

 そのようなこともあって、国連大学と農水省の関係をもっと深めようという気運が生まれ、筆者は2010年4月から週2回程度、国連大学(サステイナビリティと平和研究所)に通うことになった。この間、農水省と国連大学の連携を強化するためのお手伝いをしてきて、ようやくその成果がいくつかあらわれてきたので、農業農村と生物多様性の話題を中心に、ここに紹介したい。なお、意見にわたる部分は筆者の個人的見解であることをお断りしておく。

写真1 国連大学本部
写真1 国連大学本部

2.国連大学と生物多様性

 国連大学では、以前から、国連の呼びかけによって行われた「ミレニアム生態系評価(MA:Millennium Ecosystem Assessment)」に貢献したり、グローバルプロジェクト「PLEC(People, Land Management and Ecosystem Conservation:人・土地管理・生態系保全)」を実施したりするなど、生物多様性の問題に精力的に取り組んできた。とくに、PLECは、持続可能な資源管理、とりわけ小規模農業従事者の農業システムにおける生物多様性に焦点を当てて、「Agrodiversity(農業の多様性)」のコンセプトの下に実施されたものであった。

 また、近年は国連大学高等研究所を中心に、「SATOYAMAイニシアティブ」の推進に取り組んでいる。「SATOYAMAイニシアティブ」とは、農業などさまざまな人間の働きかけを通じて形成された、里地里山などの二次的自然環境における自然資源の持続可能な利用・管理を進めるための取組みを国際的に推進しようとするものである。2010年の名古屋における生物多様性条約COP10において、「生物多様性の持続可能な利用」に関して、その推進が採択されるとともに、「SATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップ」が51 の国や機関などの参加を得て発足した。ここに至るまでの国連大学の果たした役割には、たいへん大きなものがあると考えている。

3.農水省、FAOと共催で生物多様性条約COP10に参加

 「名古屋議定書」や「愛知目標」の採択など、大成功に終わった名古屋のCOP10であるが、国連大学は、とくに農業と生物多様性の問題に関連して、農水省、国連食糧農業機関(FAO)と共催で、「農業と生物多様性」と題するサイドイベント(講演会)を開催した1)

 これは、一般に農業は生物多様性を脅かすものと見られているが、実は健全な農業の営みこそが豊かな生物多様性を支えているのであり、とくに地域住民の生計を支える小規模農家による農業によってもたらされる作物や農法の多様性、いわゆる「農業の多様性(Agrodiversity)」が生物多様性にとって、たいへん重要であるというコンセプトに基づくものである。

 農水省の木内岳志地球環境対策室長による開会挨拶のなかでは、「農業と生物多様性の共存」について国際的な関心を高めることの重要性が強調され、日本の環境保全型農業の取組みが紹介された。続いて、武内副学長による「農業と生物多様性:持続可能な社会に向けた挑戦」、FAOのパルヴィス・クーハフカン天然資源管理・環境局地水課長による「温暖化する地球における農業遺産システムと生物多様性」、さらに、日本の農山漁村に詳しい、あん・まくどなるど国連大学高等研究所石川・金沢オペーレーティング・ユニット所長による「日本の田園地域における生物と文化の多様性の潜在力」と題する講演が、それぞれ行われた。

 講演は全て英語で行われたが、日本人の参加者も含め、用意された約百名分の椅子は満席となり、講演後の熱心な質疑応答を含め、このテーマに関する国内外の関心の高さがうかがわれた(写真2)。

写真2 COP10サイドイベント「農業と生物多様性」
写真2 COP10サイドイベント「農業と生物多様性」

4.わが国初の世界農業遺産(GIAHS)の認定申請を支援

(1)GIAHS(ジアス)とは

 「GIAHS:Globally Important Agricultural Heritage Systems(世界重要農業資産システム)」とは、FAOが2002年から主として途上国向けに始めたプロジェクトで、次世代へ継承すべき重要な農法や生物多様性などを有する地域(サイト)を認定する仕組みである。前述のCOP10のサイドイベントで講演いただいたパルヴィス課長が、ローマのFAO本部でGIAHSの事務局長を務めている。
GIAHSのこれまでの認定事例には、次のようなものがある。

(1) 「古代バレイショ農法」(ペルー)

  海抜4000メートルの厳しい環境に適した農法として、バレイショ畑の周りに溝を掘り、昼間の日射で暖めた水を、夜間の霜よけに利用している。

(2) 「チロエ農業」(チリ)

  先住民(チロエなど)の人々が、約200種の地域固有のバレイショを生産し、先祖伝来の慣行を何世代にもわたり伝承している。

(3) 「マサイの伝統」(タンザニア・ケニア)

  マサイ・ダバト族に古くから伝わる慣習や伝統知識をもとに、現在も社会や環境の変化に適応した牧畜農業を継続している。

(4) 「水田養魚」(中国)

  水田に放された魚が、害虫・雑草の防除や代替肥料として農業に役立つとともに、食料となるなど、さまざまな役割を果たす農業システムである。


 このほか、これまでにフィリピン、アルジェリア・チュニジア・モロッコ、中国(2事例)についてもGIAHSが認定されている。


(2)わが国初のGIAHS認定申請

 国連大学は、これまでの世界各地での農業の多様性などの研究活動によって得られた知見を活かし、GIAHS候補サイトの発掘や現地の政府、大学などとのコーディネーションを中心に、長年にわたってFAOによるGIAHSの推進に協力してきた。このため、日本においても、地域の環境に特有の多様な生物を育んできた里山の農業システムを中心に、ぜひともGIAHSの認定を実現したいと考えていた。こうしたなかで、農水省北陸農政局と連携して、佐渡と能登の里山について、地元からFAOへのGIAHSの申請を支援することになった。

(1) 佐渡のGIAHS
「トキと共生する佐渡の里山」(申請者:佐渡市)

   トキを中心とした豊かな生態系を保全するために、冬期湛水(たんすい)などが島全体の水田で実施され、島に受け継がれたトキを中心とした豊かな生態系や景観を保全する「生きものを育む農法」が振興されている。また、「生きものを育む農法」によって生産された米を、トキをシンボルとしてブランド化することによって、消費者がこれを購入し、地域振興に寄与している。このような水田から生まれる「食」と「命」を育む農業システムが継続されることにより、生きものと共生した持続的な農業が行われている(写真3、4)。

写真3 佐渡のトキ
写真3 佐渡のトキ

写真4 冬期湛水水田
写真4 冬期湛水水田

(2) 能登のGIAHS
「能登の里山・里海」(申請者:能登地域GIAHS推進協議会2)

   谷津田が里地・里山のなかにモザイク状に展開され、里地・里山から里海へ連なる自然の「緑の回廊」を形成するなかで、「あえのこと」(UNESCO無形文化遺産。田の神様を家に招き入れ料理でもてなし、再び田へ送り出す行事)など、1300年以上続く歴史のなかで、伝統的な農村文化が継承されており、里山を中心に守られてきた伝統的な農村文化と一体的に行われる「持続的な農業生産システム」が振興されている(写真5、6)。このような地域で、稲作を中心に、地域在来種の能登大納言や能登野菜などを取り入れた持続的な農業が行われている。

写真5 能登の棚田
写真5 能登の棚田

写真6 あえのこと
写真6 あえのこと

(3)国際生物多様性年のクロージングイベントでの公表

 FAOへの申請文書の作成に関しては、北陸農政局が地元を全面的にバックアップし、国連大学が英文への翻訳などを手伝った。また、FAOへの申請に際しては、国連大学から推薦状を交付し、農水省からも、農村振興局農村環境課が窓口となって、農林水産大臣名の協力文書を出すことができた。FAO日本事務所からも、さまざまな助言をいただいた。このような多くの関係者のおかげで、2010年12月19日に金沢市で開催された国際生物多様性年のクロージングイベントの直前に、滑り込みでFAOへの申請を実現することができた。

 クロージングイベントでは、谷本石川県知事や武内副学長から、佐渡と能登の両地域におけるGIAHSについてFAOに認定を申請したことが公表され、国内のみならず世界に向けてPRができた。今後、地元で具体的な活動計画を策定し、FAOの審査を経て、正式な認定を受けることができれば、水田を主体としたわが国農業の環境調和性の国際的なPR、ブランド化や観光への活用を通じた農村地域の活性化などの効果が期待される。

5.国連大学はこれからも途上国の農業農村の振興、世界の食料安全保障に貢献

(1)農水省拠出事業「途上国における持続的農業のための実習型研究能力育成事業」

 2050年に91億人を超えると見込まれている世界の人口を養うためには、耕地面積の大幅な拡大が難しいことから、途上国における農業の生産性と持続性の向上が重要となっている。

 そのためには、新しい品種や技術を途上国の各地域の環境に応じて最適化したうえで、これを普及させる必要がある。しかし、途上国では、十分な能力を持った研究者が少なく、またその技術力が脆弱であるため、研究成果の普及が進みにくいのが現状である。したがって、農業生産のための研究・技術開発と、その技術を現場に普及させる途上国研究者の能力育成を、一体的に実施する必要がある。

 そこで、農水省では、平成23年度予算政府案において新たに、国連大学に拠出して「途上国における持続的農業のための実習型研究能力育成事業」を実施することとなった。これは、研究機関であり、かつ、世界の学術機関や研究者との幅広いネットワークを有する国連大学に拠出し、持続的な農業のための研究推進と一体となった実習型の研修(オンザジョブ・トレーニング)を通じて、途上国の研究能力の向上と、現地に根ざした技術の着実な普及を図るもので、世界の食料安全保障にも貢献することが期待される。

 この事業では、国連大学に事務局を置き、そこが研究・研修の調整役となって、国際研究機関などにおける実習型研究能力育成と、研修生に対するホスト研究者などによるフォローアップを内容とする研修計画を公募することとしている。

(2) 国連大学と農水省とのさらなる連携強化による途上国の農業農村の振興への貢献

 国連大学は、先進国と途上国を結ぶ「ツイン研究所構想」を推進しており、サステイナビリティと平和研究所は、ガーナにある「アフリカ自然資源研究所(UNU−INRA)」とパートナーシップを構築している。アフリカはとくに持続的農業を推進する必要性が高く、今後、この分野に農水省が協力していく意義は大きいと思われる。

 国連大学が、農水省との連携をさらに強化し、途上国の持続的農業を推進することにより、農業農村の振興とともに、世界の食料安全保障にも貢献できるよう、筆者も今後とも微力ながらお手伝いができればと願っている。

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