小農経営型水田農村地域の将来展望
─日本の現実を踏まえて─

東京農工大学 大学院教授・連合農学研究科長 千賀裕太郎

1.はじめに──岐路に立つ小規模水田農業経営
 東アジアの水田農業地域には、小規模経営による伝統的農業地域が多く、1戸当たりの経営耕地面積1ha未満程度の家族経営がほとんどである。こうした小規模農業経営は「零細経営」と呼ばれる。アメリカやオーストラリアの穀物栽培経営当たりの耕作面積の数百から数千ヘクタールに比べれば桁違いに小さいので「零細」と表現したくなるのもわかる。しかし多くは、数百年以上の長期にわたって安定した存在として、多様な「かせぎ」を組み合わせた農業経営地域であり、裏を返せば水田農業地域の人口密度は牧畜や畑作などの他タイプの農業地域よりも高く、このように多くの地域人口を長期に維持している農業経営を、単に経営当たりの耕作面積が小さいことをもって「零細」経営とネガティブに響く表現をすることは適切とはいえない。
 しかし、近年における経済のグローバル化を背景に、アジアの小規模水田農業地域に地域崩壊の影が忍び寄っていることも確かである。たとえば、フィリピンのイフガオ族の「バナウェ棚田」の世界遺産棚田地域(1995年指定)が、過度の焼畑、水源林の過伐、成長する近隣都市への若者の人口流出などによって水田の耕作放棄が進み、「世界危機遺産」に登録(2001年)されたように、アジアの水田地帯においては、集落そのものの維持と美しい田園景観の保全が困難に陥っている例が少なくない(写真1)。

写真1 「世界危機遺産」となったフィリピン・ルソン島、バナウェの棚田
──崩れた畔が放置されている(写真提供:今井英輔)
写真1 「世界危機遺産」となったフィリピン・ルソン島、バナウェの棚田

 こうした事情は、これまで家族の再生産を支えていた、「衣食住」の自給的確保と地域内での多様な稼ぎの機会を、農村地域への商品経済の急速な進入下にそぎ落としてきた、日本においても同様である。
 しかし21世紀に入って、事情は明瞭に転換しつつある。グローバル化の波は、地球規模での深刻な不況となって現われ、労働の場を限りなく提供するかに見えた都市地域に、失業者が溢れかえる状況となった。農村地域を含む地方において、自立的経済圏を打ち立てることこそが、いま求められているのである。
 もちろんアメリカやオーストラリアのような巨大な規模の農業経営への転換を目指すことは現実的ではない。一部の識者が述べ立てるように、日本が誇る高品質の農産物の輸出拡大によって、日本農業がかかえている課題が解決するとは考えられないし、またコメを含む1次産品の生産・出荷だけで、農業経営が成立する条件にないのも、アジア小規模水田農業地域の特徴である。
 水田農業地域における食料自給の根幹は「コメ」であることを前提にしたうえで、小規模水田農業経営を主体とする地域の経済的自立のあり方を、21世紀という時代の特徴のなかで考えてみたい。

2.21世紀地球危機の「追い風」と「第1次産業」の再定義
 農業・農村の将来展望を考察するときに、農業・農村が求められている社会的使命の本質的な変化にまず気づかねばならない。
 20世紀末に、温暖化危機、エネルギー危機、食料危機、生態系危機、社会・人間性危機といった、いずれも地球レベルの危機が急速に深刻化し、21世紀初頭の今日には、こうした人類の生存そのものを危うくするほどの困難を打開するために、早急に有効な手を打たなければならないということが、国際的合意になりつつある。そして、こうした地球レベルの危機に、農業・農村は有効な対応ができる産業・地域として、大いに期待されているのである。
 農村地域は、二酸化炭素の吸収源としての森林をかかえ、食料生産の場としての農地を有し、バイオマス、水力、太陽熱、風力などの再生可能エネルギーの生産の場として巨大なポテンシャルを持ち、豊かな自然と伝統的文化に恵まれて地域社会の絆も強く、子どもの発達の場をはじめとした人間形成・人間性回復の条件を保持しているなど、21世紀における農業・農村への期待は、これまでのいずれの世紀にも増して大きくなることはあっても、決して縮小することはない。
 20世紀を生きてきた多くの日本の国民の目には、農村はいずれ廃れて無人化する空間に映り、農村への期待はむしろ急速にしぼんでいるかもしれない。しかし地球的視野でものを考えれば、都市と工・商業が活躍した20世紀を通り過ぎて、21世紀は確実に農業・農村に大きな期待が寄せられる時代になっているのである。
 そこでまず、第1次産業とは何かということを、問い直そう。
 第1次産業とは「安全な食料および再生可能エネルギーの安定的供給に加え、国土防災・自然環境保全・脱温暖化のための森林管理、教育・保養機会提供、文化的価値保全などの、農村に期待される多様な機能を持続的に発揮させる総合産業」という、新たな定義がいま求められていると思う。逆にいうと、これまでの一般的定義のように「第1次産業=農林水産業」というだけでは、農村は生き残れないということである。そもそも農村は、歴史的にはほんの20世紀後半を例外として、多様な地域資源に依拠した多様な労働の場であり続けたのであり、21世紀はその形を変えた復活の世紀だと理解できる。

3.農村地域再生に向けた8つの課題
 地球レベルの危機が発する「追い風」を受け、上記の第1次産業の再定義を前提に、どのような農村地域再生のあり方が求められているか。少し欲張りに聞こえるかもしれないが、次のような8つの課題に集約されると考えられる。
 第1に、食料自給率向上と食品の安全性向上。安全な食料、とりわけコメ、麦類、豆類などの主要穀物の自給による確保という、1億を超える日本の国民に対する国の責任は、何にもまして重い。今後10年、20年のタームで、国際的に穀物の自給が極度に逼迫するのは必至である。そうなったとき、自給率1%の東京都、2%の大阪府など大都市の市民の穀物確保は、きわめて深刻な状況になる。こうした見通しからは、食料「自給」というよりも食料「自衛」と呼ぶほうが適切かもしれない。「食料主権」1)に向けて、今から準備を怠ってはならないのである。
 第2に、再生可能エネルギーの生産・供給態勢の整備。これによって、石油依存からの脱出と、温暖化ガス削減を急速に進めなければならない。
 ただし、現状では大きな壁がある。再生可能エネルギーの生産費が、石油エネルギーに比べて割高なことである。しかし後述するが、温暖化危機と石油資源枯渇に早急に対応するには、EUで行われているような、再生可能エネルギー増産への政府による促進策が必要である。「ドイツの農村には、無限にエネルギーがある」と静かに豪語した、ニーダーザクセン州の農村老指導者の言葉を忘れることはできない。
 第3に、地域資源活用による物質循環促進と大気・水・土壌保全。農産物と石油資源の大量の輸入は、窒素分、その他の物質の国内への過剰蓄積をもたらしつつある。国外から持ち込まれている肥料に含まれる窒素分と、家畜の屎尿などで環境に放出されている窒素分とは、ほぼ同量という現実をどう見るべきか。輸入を抑制し、地域における資源循環を促進すれば、土壌が肥え、作物は健全に育つようになり、大気や水や土壌の汚染問題も格段に解消されるのである。
 第4に、自然保護・国土保全と両立する農林業の活性化。20世紀後半に発達した農林業は「自然・国土破壊」と非難されることがあるが、適切な栽培方法を取る農林業は、実に多様な生態系を実現しこれを維持する。環境保全型農法の推進で、自然に負荷をかけずに自然を豊かにしつつ、安全・安心な食料生産が可能となる。
 国土保全についても同じことがいえる。たとえば、とくに環太平洋の火山列島に多い中山間地すべり地帯に広く展開している日本の棚田地域では、遍(あまね)く水田が利用管理されている場合は、むしろ地すべりを防止する機能を発揮しつつ食料生産機能を持続させているが、同じ地域でもその30%程の水田が放棄されると、深刻な地すべりが発生し始める。とくに急傾斜地では、地域の過疎・老齢化が進むと、道路が不備で労働が大変な標高が高い場所にある水田が先に放棄される。そうすると、まずそこから地すべりが発生し、それが下流の水田のすべりを誘発し、順次、上流から下流に向かって災害が玉突きのように起きて、下流の平地にある都市にも深刻な影響が出る。こうした国土崩壊の事態は、なんとしても食い止めなければならないが、そのためには、水田耕作を続けて、食料生産と国土保全の両立をはかることがもっとも合理的な方策となる。
 第5に、地域内産業連携による地域経済の活性化。農商工連携とか6次産業化2)と呼ばれる農村地域と近傍の都市域を含めた地域内の産業連携は、地域経済の活性化にとって基本となる。そうした例を挙げよう。
 京都府南丹市美山町では250軒の茅葺(かやぶ)きの民家を残してきたが、公共建築の多くも木造を採用していて、古き良き村の景観・雰囲気の保全に貢献し、観光客の賞賛を得ている(写真2)。

写真2 美山町北集落 (写真提供:中野修)
写真2 美山町北集落 (写真提供:中野修)

 南丹市に合併前の美山町では、補助金で建設する都市農村交流施設の設計に当たって、コンクリート造と木造とで建設費を比較したところ、木造が15%(2000万円)割高と出た。予算決定権を握る旧美山町議会も、町行政が提案する木造の採用を「割高」と渋った。そこで町行政は、今度は木材業者や大工などの町内業者への発注可能量を調べ、その全事業費における比率を比較した。するとコンクリート造は35%、木造は70%となり、町内に落ちる事業費に6500万円の差が出た。このデータを見て町議会は、木造による建設予算を可決したのである。
 こうした農(林)工連携で確保された伝統的な景観が、美山町への多くの観光客のターゲットとなっていることはいうまでもない。「景観」を軸にした6次産業の成功事例である。日本では「機能発揮のためのコスト以上の事業費は無駄」という風潮がまだ強い。しかし景観形成を契機にすれば、地域における資源循環と経済循環を同時に実現することができることを、美山町から学ばねばならない。
 第6に、伝統文化の保全による地域社会の多様性確保。中山間地域に存在する多くの集落の消滅によって、これらのユニークな集落の人々が担っていた多様な伝統文化が消滅してしまう。
 上越市の山村(桑取地区)に、「かみえちご山里ファン倶楽部」という外来者と住民との協働で運営するNPOがあり、市に企画提案して委託費を得て、桑取地区の伝統技術の「レッドデータブック」を作成した。茅による屋根葺き、猪狩り、縄ないなどの地域に伝わる伝統技術を、その技術保持者の年齢とともにリストアップするのである。仮に80歳を伝統技術の担い手の最終年齢として、その技術を担っている最若年の人が80歳になる年をその技術が地域で絶滅する年とした。こうして各々の伝統技術を「絶滅技術」、「絶滅危惧技術」などと評価して一覧表にまとめた。この表を見た地元の人々が、ようやく地域における伝統技術継承の緊急性に気づいたという。
 また、本州では唯一の「からむし」(イラクサ科の多年草、古代から織物の原料に)生産地である福島県昭和村(人口1600人、高齢化率51%)では、「織り」の伝統工芸の全ての工程(栽培、苧(からむし)引き、糸作り、織り)を伝授する「織姫事業」を展開している。「織姫体験生制度」として、村が用意したプログラムに沿った11か月の学習活動(生活費以外の寮費、指導費は村負担)、さらにこれを卒業した者には、2年間の「織姫研修生制度」があり、この制度によって村の空き家に居住して、からむしの研究・技術習得を行う者は月額6万円の生活費補助が受けられる。1994年からの14年間に都市部から76名の参加があり、村に定着13名(主に若い独身女性で、定着率17%。うち結婚して定着した女性8名全員が村の男性と結婚)、会津地区への定着者を含むと30名(定着率40%)と定着率がきわめて高いのが特徴である。
 個々の地域がその文化的個性を押し出すことで、第6次産業化が実現するばかりか、多くの若者の参入を確保することができることを昭和村は実証している。
 第7に、教育・保養機能の保全・発揮。自然と文化が豊かで第1次産業を中心とした安定した経済が展開する農山村は、子どもの教育や現代社会のストレスに疲れた人々の癒しにとっては非常に優れた場である。グリーンツーリズムは、都会人が農山村のもつ教育・保養機能を享受する機会を提供する事業である。
 第8に、若年層の転入による健全な農村集落保全の条件整備。これは、大前提である。上述の福島県昭和村のように若者が地域に魅力を感じてそこに住みついたとしても、そこで働き、暮らし、子どもを生み・育てる、といった人生のサイクルが全うでき、さらに次の世代の再生産が可能となるには、労働の機会の確保とともに、医療・出産、子育て、教育などの条件を地域に確保しなければならない。

 「農業・農村の、以上の8つの課題を総合的に解決していくことが求められている」といわれると、「現状でさえ厳しいのに、こんなに多くの課題を背負えるわけがない」と思われるかもしれない。
 しかし、これらの課題は、それぞれ相互に関係しているのに、これまでの産業・地域振興施策は、縦割り型で、個別独立的に対応してきたので、十分に成功しなかったといえる。施策に無駄が多く、本来ならば互いに関連させれば相乗効果が期待できるのに、独立的に展開したために、全て失敗するか、莫大な予算を投じて一部の課題が辛うじて解決したのではなかったか。むしろ、これらの8課題を総合的に扱うことで、相乗効果が生まれ、全体の解決に成功するのである。
 これまでの日本の財界、政界の指導層は、こういう立場に立たなかった。むしろ国内におけるこうした重要課題から目を背け、TPP(環太平洋経済連携協定、2015年をメドに全ての貿易品目の関税撤廃を目指している)の締結を促すなど、比較優位論にたった自由貿易の推進を是とし続けている。日本の鉄鋼、自動車、石油化学工業などの20世紀の高度経済成長を支えた新自由主義的な経済勢力の発想は、21世紀における国内の地域資源に依拠した内発的経済発展とは相容れないのかもしれない。
 しかし国の政策方針がそうした姿勢では、先に述べた地球危機の「追い風」を、的確に受ける形での農業・農村の再生はおぼつかないし、欧州のような「グリーン資本主義」3)に向けた経済発展に決定的な遅れをとるだろう。

4.政府の役割
 上記のような動きを各地域において促進するうえで、次で述べるように政府の役割は大きい。
(1)「農業者」の有用労働全体への支払い
 新定義による「農業者」を確保するには、農山村に住む農業者の家族が再生産可能な所得の実現が前提になる。
 まず、農産物の国境措置と国内市場の適切なコントロールによる市場を通じた生産費の確実な確保を実現するとともに、政府が市場では確保できない農業者の労働への支払分を補償することである。この所得補償の性格は、農作業の持つ季節性や、農の多面的機能を勘案して、通年の多様な「有用労働」に対する賃金として支払われるべきものである。
 たとえばコメは、春から秋口くらいまでの労働(1ha当たりのコメ生産労働時間は300〜400時間程度)で生産されるが、そのコメの生産にかかる労賃の不足分(2009年時点で米作農家の時間当たり平均所得は179円である)補償だけをしても、周年の労働への所得補償にはならない。農業者が、周年行う森林の下草刈りや間伐などによる国土・自然保全活動、野生動物被害対策、水路・ため池・農道などの公共空間の維持管理などのための「公益労働」にかかる所得を補償する必要がある。4)
(2)再生可能エネルギーの全量買取り
 再生可能エネルギー生産に関する経済的条件の整備も重要である。ドイツが始め、それに倣ってEUの多くの国が制度化して二酸化炭素削減に成果を上げているのが「再生可能エネルギー全量買取義務制度」である。エネルギー資源種によって送電会社の買取価格は異なるが、おおむね20年で設備費用が回収できるよう、通常の電力よりもかなり高価になっており、このために農村地域では、各農家、住民団体、法人などによる小規模の発電事業が増加している。この制度運用のために必要な資金は、薄く広く電力需要者(つまり市民と法人)が電力料金に上乗せして支払うことで、政府の支出はない。
(3)家族維持にかかる地域格差調整補償
 農山村の地域社会を活性化していくために、もうひとつ大切な点がある。それは、とくに若い世帯の家族維持にかかる「地域格差調整補償」である。
 新定義による農業の担い手は、当然のことながら「家族」を形成して農村に居住することになる。農山村においては、家族の再生産、すなわち出産を含む医療・福祉や高等教育機会の条件などは、他の地域に比べれば明らかに格差があり、これを是正するための地域調整措置は、個別に講じなければならない。とくに、現在大きな問題となっているのは、高等教育機会の格差である。大都市から遠距離の農山村の子弟には、高等教育のために追加的に必要となる費用の補填をすることが必要である。
 実際に、山形県の金山町は、都会の大学に行っている子弟に対して、月3万円を支給している。それもあって、金山町はずっと過疎地指定されることを免れている。いったん大学のために都会へ出た若者が金山町に戻ってくる割合が多いという。そういう地域間格差調整補償が家族維持のためには必要で、補償がなければ若者が安心して参入できない。子育てがきちんとできるだろうか、あるいは大きくなった子どもが高等教育受けられるだろうかという心配があるので、これはきわめて重要なことであり、金山町ではその効果が明らかになっている。

5.むすび
 21世紀における水田農村地域の将来展望は、決して暗くない。それどころか、本稿のような措置が講じられ、各地域において農村と都市、農(林)業者と商工業者が連携して、各地域内におけるモノとお金の循環を構築してゆけば、外部にモノやお金が過度に流出することなく、豊かな経済と文化を育むことができる。こうした地域における多角的産業経営による「地域の自律的自立」にこそ、水田農村地域の明るい将来展望があると考えられる。この道は、地球危機打開に向けた、地域の現場からの解決の提案でもある。

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